按手式で「むち打ち症」のいやしが!

 函館に来てから初めての聖会が2005年5月23日に開かれました。この日は特別な日でした。主人が主の十字架クリスチャンセンター函館教会の牧師としての任命按手を受けたのです。私もいっしょに按手していただきました。
 北海道からだけでなく東北からも、牧師の方々をはじめ多くの方々が出席してくださり、大感謝の聖会となりました。賛美も素晴らしく、神様の豊かなご臨在がありました。天の御国の聖さをとても強く感じ、いつまでもその中に居たいと思うほどでした。祈りの言葉や預言、メッセージを通しても、いくつもの言葉をいただき、示されていたことの確認となりました。
 按手式では、聖書のヨハネの福音書15章16節「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」との御言葉が朗読されました。その時に深く主に触れられ、涙があふれてきました。そして、「本当に本格的な召しの働きに立ったのだ」という思いを強くしました。
 お二人の長老の方が、手を置いて按手してくださったのですが、その手が、私の頭と、そして、むち打ち症の後遺症で一番痛い首の部分に置かれたのです。ふつうは頭と肩などに手を置いて祈られることが多いので、ちょっと驚きました。その部分がだんだん暖かくなってきました。「いやしが起きているのかしら。それとも、長老の方の手が温かいのかしら…。いや、これは、やはり、いやしだわ」と思いました。
 この聖会の数日前から、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ書53章5節)の御言葉がいく度も浮かんできていましたから、きっとこの聖会でどなたかいやされるのだと思って期待していました。自分自身のいやしについては、まったく思い浮かんできていませんでしたが、いやされたのは私だったのです。
 按手をしていただいてから、聖会が終わるまでの間も、家へ帰る車の中でも、帰ってきてからも、首を上に向けたり、下に向けたり、ねじったり、回したり、いろいろしてみました。翌日は、わざわざ徒歩で買い物にも行ってみました。1時間ほど歩きましたが、何ともありません。重たい買い物袋をぶら下げて帰ってきましたが、全然、痛みはありませんし、疲れることもありません。
 その後も、布団の上げ下ろしも、洗濯物を干すのも、シャンプーするために前かがみになることも、雨が降っても、どんなに冷たい風に吹かれても辛くないのです。首の痛みもなく、頭や肩や背中も全然重くないのです。それ以来、頭痛薬を飲むこともなく、湿布を貼る必要もなく、一度も寝込むこともありません。「むち打ちが完治することはほとんどない。気長に付き合う、一生モノ」といろいろな人から言われてきました。けれども、完全にいやされたのです。
 事故に遭った時には、まず感謝しました。「神様は、このこともすべて益としてくださいます。神様は、いつ、どんな方法でいやしてくださいますか」と、いつもわくわくするほどの期待感を持っていました。それが、本格的な召しの働きに立つための按手の時になされたのです。そのことに驚いています。この時が神様の「時」であり、これが神様の「方法」だったのです。神様は、この函館で、いやしとともに多くの素晴らしいみわざを現してくださり、多くの実を結ぶ働きを導いてくださることでしょう。ハレルヤ。主に感謝し、主をほめたたえます。



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